Short Story by Music
あの曲が小説になったら・・・
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3月9日
3月9日 - (楽曲 by レミオロメン)
********
音楽室へ続く人気のない廊下で、頭の中に「?」を浮かべながら立ち止まった。
僕の少し後ろを歩いていた彼女に「止まって!」と言われたからだ。
振り返ろうとしたら、振り返らないで前を見てって、やっぱり「?」を浮かべながら前を見た。
そして、やっと気づいた。
僕は彼女に抱きしめられていた。
正確には、長く伸びた僕の影が、彼女の影に抱きしめられてるのだ。
いつの間にこんなに日が高くなったんだろう。
「わかりにくいです」
「そう?」
「どうせなら、生身の僕に抱きついてくださいよ」
それには答えず、彼女は小走りに僕の横を通って追い抜いたあと、振り返って「冗談よ」と人差し指を唇にあてた。
わかってる。
窓から見える枝ばかりの大木が桜色に染まる頃、それまでは教師と生徒だってこと。
僕より先を歩く彼女の影は、僕の影よりずっと背が高く見える。
足を早めて彼女に並ぶと、繋げない右手の代わりに、影の手をそっと重ねた。
卒業式で歌う曲の楽譜を運ぶのを名目に音楽室まできたのは、彼女のピアノを聴くためだ。
次に登校するのは卒業式だから、これが最後になる。
初めてまともに聴いたのは、陸上部の朝練の時、ちょうど2年前の今頃のことだ。
集合時間の2時間前、まだ薄暗くて霧深い早朝の校庭で、僕はやっきになって走り込みをしていて、勢い余って転んだ。別に怪我はしていなかった。だけど息を切らせて、涙まで浮かべながら、仰向けになって動けずにいた。
どれだけ走っても、誰よりも走ってるのに、タイムがあがらないことにジレンマを抱えていたんだ。
僕の息が落ち着いて、空が少しずつ白から青くなってきた時、ピアノの音に気づいた。
いつから鳴っていたのか、耳をその音に集中すると・・・・・聴いたことがある軽快なリズム、「ドンウォーリー、ビーハッピー」の歌詞だけ思い出す、洋楽の・・・あれは誰の曲だったっけ?
その日の放課後、ピアノの音が聞こえたから音楽室へ行った。あの曲の正体を知りたくて。
僕が入っていったのにも気づかずに楽しそうにピアノを弾く姿。
彼女の髪に窓からの木漏れ日が反射して、キラキラして綺麗だった。
「・・・先生」
あまりに気づかないから声をかけたら、彼女はものすごく驚いて肩をびくっとさせて僕を見た。
その顔を見て、今度は僕が驚く番だった。
教師なんて眼中になかったのに。これまでなんとも思ったことなかったのに。
胸の奥をぎゅっとつかまれて、しばらく口がきけなかった。
しどろもどろで、今朝弾いていた曲を聞くと、「Bobby McFerrin のDon't Worry Be Happy 」だよ、とCDを貸してくれた。
あの時は頭が真っ白になって、それから彼女の顔が頭から離れなくなった。
朝と放課後の誰もいない時間、僕が唯一彼女と話すことを許される場所。
二人の他に誰もいないこの音楽室、僕が恋に落ちた舞台だ。
古くて軋む板張りの床、ピアノに寄りかかって座った彼女の横に並んで座りと、窓からの西日に目を細めた。
「もう学校で会えなくなるんですね」
「そうだね。もう、会えなくなるんだね」
「一生会えなくなるみたいな言い方しないでください」
僕がむくれて言うと、彼女は何も言わずに笑った。
「そういうの、最近多くて不安になります」
「そういうのって?」
「そういう、大人が悟ってますって感じの、卒業したらさようならって空気」
「大学行ったら、きっと高校時代のことなんて懐かしい思い出になるだけ、忘れちゃうよ」
「それは・・・懐かしいって思うようになると思いますけど」
「だから今から慣れておかないとなーって思って」
僕は隣の彼女の横顔を凝視してるのに、彼女の目はどこを見てるんだろう。
「それって、いなくなったら寂しいってことですか?」
「そりゃ寂しいわよ。こんなに慕ってくれるかわいい教え子がいなくなるんだもん」
「教え子って、わかっててそんなこと言ってるなら、ひどい悪女ですね。悲しくなってきました」
これは本音だ。
最近の僕は、卒業が近いせいか、言葉に遠慮や加減ができなくなってる。
彼女の視線がゆっくりと僕に戻ってきた。
「ほんとだ。泣きそうな顔してる」
細くて長い指が僕の頬に触れた。
優しくて、だけどどこか儚げで、僕の心をかき乱すように微笑む彼女が憎らしい。
「キス、してもいいですか」
「・・・・・いいよ」
彼女が静かに目を閉じた。
気づいてましたか?あなたに恋したあの日から、僕は一度も「先生」って呼んでないんです。
隣にいることだけで精一杯だったけど、それが当たり前のように心地よくなって、季節の移り変わりをここで二人で感じながら2年が経ったんです。
どんな悩みも、あなたの笑顔を見ていたら小さなことに思えました。
あなたのことを思えば、なんでも頑張れました。
初めて触れた柔らかい唇と、両手で包み込むように抱いた華奢な肩は、想像してたよりずっと小さくて、大人だと思っていた彼女が小さな女の子に思えた。
キスのあと、恥ずかしくなって顔も見ずに彼女をぎゅっと抱きしめた。
かつてない心臓の高鳴り、きっと聞こえていて後で笑われるかもしれない。
泣きたいくらい幸せだ。
「ずっと好きでした。これからも好きです。付き合ってください」
「遅いよ」
一瞬で頭から水をかけられた気分になって、思わず体を放して彼女の顔を凝視していた。
彼女は目をぱちくりとさせ、すぐにこんな僕を笑うように照れ笑いを浮かべた。
「なんて顔してるの、もう、ずっと待ってたって言ってるの!」
言葉が何も浮かばなかった。
ただ嬉しくて、嬉しくて、また彼女を強く抱きしめた。
この手に2年間の想いを込めて、ずっと触れたかった彼女の感触を、香りを脳に焼き付ける。
そして彼女との未来を思い描く。
「ここで桜、見れなくなるから、目黒川でも行きませんか?」
「いいけど、結構歩くよね?人も多いよ」
「はぐれないように手繋ぎますから」
「デートみたいだね」
「デートですよ」
彼女が小さく笑って、僕の背中を抱きしめた。
「あなたが好きな日向ぼっこもできるところ、探しときます」
「膝枕してくれる?」
「いいですよ。その代わり、その次は僕に膝枕してください。その次の次はまた僕が膝枕しますから」
西日がさらに傾いて、いつもは帰りを急かされているように感じた迫ってくる闇が、今日は二人を隠してくれるかのように感じた。
高かったハードルをやっと越えられた僕は、みんなよりひと足先に卒業した気分だった。
紡いでゆく未来。
この先も隣で、四季折々を感じながら。
愛しい人、ずっと傍にいて。
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音楽室へ続く人気のない廊下で、頭の中に「?」を浮かべながら立ち止まった。
僕の少し後ろを歩いていた彼女に「止まって!」と言われたからだ。
振り返ろうとしたら、振り返らないで前を見てって、やっぱり「?」を浮かべながら前を見た。
そして、やっと気づいた。
僕は彼女に抱きしめられていた。
正確には、長く伸びた僕の影が、彼女の影に抱きしめられてるのだ。
いつの間にこんなに日が高くなったんだろう。
「わかりにくいです」
「そう?」
「どうせなら、生身の僕に抱きついてくださいよ」
それには答えず、彼女は小走りに僕の横を通って追い抜いたあと、振り返って「冗談よ」と人差し指を唇にあてた。
わかってる。
窓から見える枝ばかりの大木が桜色に染まる頃、それまでは教師と生徒だってこと。
僕より先を歩く彼女の影は、僕の影よりずっと背が高く見える。
足を早めて彼女に並ぶと、繋げない右手の代わりに、影の手をそっと重ねた。
卒業式で歌う曲の楽譜を運ぶのを名目に音楽室まできたのは、彼女のピアノを聴くためだ。
次に登校するのは卒業式だから、これが最後になる。
初めてまともに聴いたのは、陸上部の朝練の時、ちょうど2年前の今頃のことだ。
集合時間の2時間前、まだ薄暗くて霧深い早朝の校庭で、僕はやっきになって走り込みをしていて、勢い余って転んだ。別に怪我はしていなかった。だけど息を切らせて、涙まで浮かべながら、仰向けになって動けずにいた。
どれだけ走っても、誰よりも走ってるのに、タイムがあがらないことにジレンマを抱えていたんだ。
僕の息が落ち着いて、空が少しずつ白から青くなってきた時、ピアノの音に気づいた。
いつから鳴っていたのか、耳をその音に集中すると・・・・・聴いたことがある軽快なリズム、「ドンウォーリー、ビーハッピー」の歌詞だけ思い出す、洋楽の・・・あれは誰の曲だったっけ?
その日の放課後、ピアノの音が聞こえたから音楽室へ行った。あの曲の正体を知りたくて。
僕が入っていったのにも気づかずに楽しそうにピアノを弾く姿。
彼女の髪に窓からの木漏れ日が反射して、キラキラして綺麗だった。
「・・・先生」
あまりに気づかないから声をかけたら、彼女はものすごく驚いて肩をびくっとさせて僕を見た。
その顔を見て、今度は僕が驚く番だった。
教師なんて眼中になかったのに。これまでなんとも思ったことなかったのに。
胸の奥をぎゅっとつかまれて、しばらく口がきけなかった。
しどろもどろで、今朝弾いていた曲を聞くと、「Bobby McFerrin のDon't Worry Be Happy 」だよ、とCDを貸してくれた。
あの時は頭が真っ白になって、それから彼女の顔が頭から離れなくなった。
朝と放課後の誰もいない時間、僕が唯一彼女と話すことを許される場所。
二人の他に誰もいないこの音楽室、僕が恋に落ちた舞台だ。
古くて軋む板張りの床、ピアノに寄りかかって座った彼女の横に並んで座りと、窓からの西日に目を細めた。
「もう学校で会えなくなるんですね」
「そうだね。もう、会えなくなるんだね」
「一生会えなくなるみたいな言い方しないでください」
僕がむくれて言うと、彼女は何も言わずに笑った。
「そういうの、最近多くて不安になります」
「そういうのって?」
「そういう、大人が悟ってますって感じの、卒業したらさようならって空気」
「大学行ったら、きっと高校時代のことなんて懐かしい思い出になるだけ、忘れちゃうよ」
「それは・・・懐かしいって思うようになると思いますけど」
「だから今から慣れておかないとなーって思って」
僕は隣の彼女の横顔を凝視してるのに、彼女の目はどこを見てるんだろう。
「それって、いなくなったら寂しいってことですか?」
「そりゃ寂しいわよ。こんなに慕ってくれるかわいい教え子がいなくなるんだもん」
「教え子って、わかっててそんなこと言ってるなら、ひどい悪女ですね。悲しくなってきました」
これは本音だ。
最近の僕は、卒業が近いせいか、言葉に遠慮や加減ができなくなってる。
彼女の視線がゆっくりと僕に戻ってきた。
「ほんとだ。泣きそうな顔してる」
細くて長い指が僕の頬に触れた。
優しくて、だけどどこか儚げで、僕の心をかき乱すように微笑む彼女が憎らしい。
「キス、してもいいですか」
「・・・・・いいよ」
彼女が静かに目を閉じた。
気づいてましたか?あなたに恋したあの日から、僕は一度も「先生」って呼んでないんです。
隣にいることだけで精一杯だったけど、それが当たり前のように心地よくなって、季節の移り変わりをここで二人で感じながら2年が経ったんです。
どんな悩みも、あなたの笑顔を見ていたら小さなことに思えました。
あなたのことを思えば、なんでも頑張れました。
初めて触れた柔らかい唇と、両手で包み込むように抱いた華奢な肩は、想像してたよりずっと小さくて、大人だと思っていた彼女が小さな女の子に思えた。
キスのあと、恥ずかしくなって顔も見ずに彼女をぎゅっと抱きしめた。
かつてない心臓の高鳴り、きっと聞こえていて後で笑われるかもしれない。
泣きたいくらい幸せだ。
「ずっと好きでした。これからも好きです。付き合ってください」
「遅いよ」
一瞬で頭から水をかけられた気分になって、思わず体を放して彼女の顔を凝視していた。
彼女は目をぱちくりとさせ、すぐにこんな僕を笑うように照れ笑いを浮かべた。
「なんて顔してるの、もう、ずっと待ってたって言ってるの!」
言葉が何も浮かばなかった。
ただ嬉しくて、嬉しくて、また彼女を強く抱きしめた。
この手に2年間の想いを込めて、ずっと触れたかった彼女の感触を、香りを脳に焼き付ける。
そして彼女との未来を思い描く。
「ここで桜、見れなくなるから、目黒川でも行きませんか?」
「いいけど、結構歩くよね?人も多いよ」
「はぐれないように手繋ぎますから」
「デートみたいだね」
「デートですよ」
彼女が小さく笑って、僕の背中を抱きしめた。
「あなたが好きな日向ぼっこもできるところ、探しときます」
「膝枕してくれる?」
「いいですよ。その代わり、その次は僕に膝枕してください。その次の次はまた僕が膝枕しますから」
西日がさらに傾いて、いつもは帰りを急かされているように感じた迫ってくる闇が、今日は二人を隠してくれるかのように感じた。
高かったハードルをやっと越えられた僕は、みんなよりひと足先に卒業した気分だった。
紡いでゆく未来。
この先も隣で、四季折々を感じながら。
愛しい人、ずっと傍にいて。
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